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2013年5月 7日 (火)

5. マキシミリアン神父の証し

こんにちは、SUZUME-SUZUMEです。

今日は、どうしてミオがアウグスティノ会の司祭と共に働くようになったか、きっかけをお話ししたいと思います。
いえ、私が話すのではなく、マキシミリアン神父さま(写真、向かって右端)の証しを訳してみましたので、少し長いですがお読みになってみてください。
この証しは録音から起こしました。確か、2012年のものだったと記憶しています。
 


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すべては6年前、ライスバハで始まりました。そこでわたしはミオと知り合いました。実は、わたしは「彼」がミオ本人だとは知りませんでした。夕食のときに、ひとりの男性がわたしの後ろに立って、わたしの両肩に手を置きました。そして当時の通訳、イワナを通して、彼は、「今夜、ある人のために祈るのですが、一緒にどうでしょうか?」と聞いてきました。これがキッカケでわたしたちは近しくなりました。

 

その後、わたしたちはまた(彼のセミナーで)出会いました。その時、わたしは勇気を出して、彼に わたしたちの修道院は何かが変だ、ということを話しました。大勢の若者がうちの修道会に興味を持って修道院を訪れ、しばらくの間修道院で生活するのですが、突然、去って行ってしまうのです。確かに召命があって真剣な気持ちで訪れた若者もいたのに、突然、理由もなく去って行ってしまうのです。今では新しい志願者がいない状態です。

 

わたしはミオに、「パーリンには何かおかしなことがあるから、来て祈って欲しい」と頼みました。それからしばらくしてミオはパーリンに来ることになりました。

 

わたしたちは祈りのグループを組織し、ミオとわたし達は土地のための祈りをしに行きました。パーリンの土地に影響しているいったいどんなことが過去に起こったのかをミオが感じるために、パーリンのあちこちを訪れました。

 

あまり時間がないので、要点だけお話しますと、わたし達の修道院聖ミカエル教会は昔ケルト人の集落だったところに建てられています。様々なところに、当時の遺跡を見ることができます。

 

わたし達の修道院は、聖オティリアの巡礼地に属していますが、そこには当時の子供の生け贄が捧げられた祭壇があったことが分かっています。

わたし達は、子供が捧げられた祭壇があったとされるところで祈りました。

 

また、わたしたちは他にも人々が虐殺された場所をあちこちに見つけました。

婦人たちが強姦された場所も見つけました。

 

パーリンの歴史は血塗られていることが祈りによって分かりましたが、証明できる事実は、ナポレオン時代にパーリンから5キロメートル離れた土地で1809年に大虐殺が行われたということです。

また、オーストリア人で後の皇帝なった方が、わたし達の修道院に逃れて来て、それをナポレオンが追って来て捕まえようとしました。その結果、当時の記録によるとこの修道院で少なくとも500人が殺されました。

 

 

ミオは、「ここで起こった出来事はこれだけではない。大勢の、大勢の、ものすごく大勢の兵士が見える」と言いました。

わたしは彼が何を言っているのか分からなかったのですが、最後に、パーリン教区のあるあたりの地下には兵器の倉庫があったことを思い出しました。その倉庫だったトンネルは20キロメートル以上の長さにおよび、兵器の倉庫としてドイツで最大規模のものでした。もともとあったこのトンネルをヒットラーは利用したのです。これらの兵器は第二次世界大戦の際にあちこちで使用され、これらの兵器で大勢の人が殺され、あるいは負傷を負わされました。

この土地でそれらの殺戮が行われたわけではありませんが、その武器がここに納められているために、この土地に影響が及んだのです。

これらすべてのためにわたし達は祈りました。その後、ミオと別れ、わたしは修道院に戻ったのですが、修道院の一カ所の階段に付けられた電灯が故障していました。そこで電気工を呼んで直してもらうことにしました。

まあ、このことはよしとし、ひとまずおいて置きましょう。

しかし、わたしはと言えば、入院するはめになったのです。突然、血圧が上がり、自分の持っている測定器で測れないほどになりました。わたしの測定器が壊れたと思い、医者へ行って測ってもらおうと思いました。すると、病院の測定器でも測れないほど血圧が高かったので、薬を与えられ注射をされたのですが、血圧は下がりませんでした。

普通の場合、人はこういう状態を耐えることはできないとのことです。相当具合が悪いはずなのだそうですが、わたしの気分はそれほど悪くはありませんでした。

こうしてわたしは入院し、治療を受け始めました。治療を受けた直後、血圧は下がるのですが、一時間もすればまた元に戻ってしまします。

 わたしは普通の病気の症状ではないと気づき、祈ることにしました。祈ると血圧が落ち着きした。でも、疲れて祈りを止めると、また上がるのです。

わたしは知り合いのこのようなこと(霊的戦い)に経験豊かな司祭に電話して、わたしのために祈ってくれるように頼みました。

彼はすぐに祈り始め、2時間祈って、12時5分前に止めました。わたしはそれを身体で感じました。翌日の電話で,確かに彼は12時5分前まで祈ったことを確認しました。その後から薬が効きはじめ、退院することができました。

 

 

ケルト時代の生け贄が捧げられた祭壇があった場所では、深刻な負荷がかかりますので、そのためにわたし達は昨年まで祈り続けました。

昨年の祈りのとき、もちろんミオも同席しました。それから数日後、香部屋係が電話してきて、教会の電気関係が狂ったみたいだ、いそいで来るように、と言いました。わたしが急いで駆けつけると、香部屋の中はこげたような匂いが充満していましので、窓を空けて急いで電気のスイッチをすべて切りました。後で調べると、ケープルの束が焦げて非常に危険な状態になっていました。安全装置が働いていなかったのは興味深いことです。わたしはこの焦げたケーブルを保管しておいて電気工に見せました。話だけでは、誰も信じてくれないからです。

 わたし達のところに、聖オティリアの聖遺物に触れた水が注がれる泉がありますが、この水が出る装置やライトニングなどは電気で行っています。今年のはじめのことですが、それが壊れてしまいました。7回も修理を頼みましたが、またすぐに壊れてしまい、原因が分からずに電気工は首をかしげていました。

わたしが遅まきながら祈りが必要だと気付くまで、それは続きました。

 

さきほど触れた階段の電灯のことですが、いつも頼む会社ではない電気工が来た時、これまで何度も直してもすぐに壊れてしまう階段の電灯を直してくれるようにお願いしました。

彼は、「あ、このタイプはお手の物」と言って修理してくれました。 

その日、わたしは他の教会でごミサを捧げて、電気系統の不具合のためにも祈っていました。ごミサが終わって修道院へ戻ろうと思ったのですが、修道院の手前が通行止めで戻ることができません。

事情を聞くと、修道院に5台の消防車が駆けつけているとのこと。あわや修道院が火事かとおもいきや、それは免れました。

どうにか修道院に戻って事情を聞くと、階段の電灯を修理した後、なぜかバッテリーがうまく機能せず、充電しすぎて火災警報機が鳴ってしまったとのことです。

この状態を誰も説明することができませんでした。

 

本当にミオといっしょに仕事をするなら、どんなおもしろい体験ができるかお分かりでしょう? (笑)

 

冗談はさておき、わたし達が土地のための祈りをはじめてから、、、もちろん、まだ祈り続けていますが、、、、確かに実りがあります。

来る10月にひとりが永久誓願、ひとりが期限付きの誓願をたてることになりました。また、ミオのセミナーで知り合ったひとりが、昨年、司祭に叙階されました。

 

正直に言いますと、ミオが彼のセミナーで土地の祈りとその祈りの効果を話したとき、そんなことがあるはずはないと思っていました。

でも、自分で体験した今は、ミオの言うことが本当だと信じられます。

 

最後にみなさんに言いたいのは、自分の今の状況を受け入れること、その状況に感謝すること、その状況において主が栄光を現してくださるようにと祈ることが大事だということです。

 

主は栄光を現してくださいました。ハレルヤ!

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この話の他にもまだ色々な出来事が起こっていますが、それはいつかミオが講話の中で話すかも知れませんので、お楽しみに!
神様は今も栄光を現し続けられています。
つい先日、2013年5月4日に、ミオのセミナーで召命を発見したふたりの着衣式が、アウグスティノカノン修道会でが行われました。
神に感謝!



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