23. 赦しの秘跡
こんにちは、SUZUME-SUZUMEです。
ただいま、いつくしみ年の真っ最中ですが、みなさんもそれを実感されていることと思います。
ここ数ヶ月の間、私も、ミオに関わった人々の上に神がいつくしみのみ業を行われるのを見せていただき、大変感謝しています。このことについては、いつか、お話しできる日が来ますように!
「ご聖体」、「赦しの秘跡」は、神様が私たち罪人にくださった、最も大きな「いつくしみのみ業」と言えると思いますが、先日、それを目の当たりにすることができました。
今年(2016)5月にオーストリアのある修道院で行われたミオのセミナーに、私も賛美チームとして参加しました。
参加者は120名ほどで、小さな子供たち、若者たち、そして男性の参加が多く、大変活気あるセミナーでした。
三日目の講話は、「罪について」でした。ミオのセミナーに参加された方はご存知の通り、ミオはどういう風に罪を告解すべきかを具体的に教えてくれます。そして、みんなが告解を済ませた後に、その夜の按手の祈りをします。
なぜ告解を済ませた後に祈るかというと、ミオはその晩、一人ひとりの人生の癒しの祈りをするので、大罪があると、癒しを祈ることができないからです。つまり、神様が癒してくださるためには、神様と私たちを隔てている壁(罪)を取り去らなければなりません。
私たちが神様に反する罪(大罪)を犯すと、それが私たちの中の傷になり、その傷によって私たちは精神的、肉体的な病気になってしまいます。ですから、その傷の原因をまず痛悔し、赦していただく必要があります。
「まだ告解していない人は何人くらいいますか?」とミオが尋ねたとき、3、4人が手を挙げました。ミオは、「少なくとも倍の人数が告解する必要があります」と言い、目をつむって年齢を言い始めました。
例えば、「8歳のとき、11歳のとき、20歳のとき、33歳のとき、55歳のとき、67歳のとき、、、、、、、」というようにです。
そして、「その年齢のときに犯した罪に思い当たる人は告解してください」と言いました。
夜、ご聖体を前にして、司祭方とミオによる按手の祈りが始まりました。すると、20歳前後の若い女性がリアクションを起こしました。
彼女は按手の祈りを受けると硬直してしまったのです。両肘を張って、両手は胸の前で固まったまま、そして指は地面を指しています。顔もムンクの絵のような表情をしたまま動きません。
この表現ではどういう体勢だったか伝わらないと思いますが、なにしろ、身体も顔も硬直し、動けない状態になりました。
個々の祈りが終わり、沈黙のご聖体礼拝がはじまりました。一時間ずつ交代で翌朝までご聖体の前で過ごすのですが、当番の人と祈りたい人以外は、それぞれ自分の部屋に引き上げました。
彼女はまだ肘を肩の高さにあげたまま硬直しています。ミオは何度も彼女のところへ行っては祈っていました。(このとき、どういう罪を告解すべきかを教えたそうです。)神父様もご何度もご聖体で祝福を与えられました。
一時間半ほどすると、彼女の片手が降り、下半身も動くようになり、歩くことができるようになりました。すぐに彼女は告解室へ行きました。
翌日、彼女が証をしてくれましたが、それは、小さいときから習慣的に行っていた盗みの罪と人を呪う罪によるリアクションでした。
告解したときはまだ片肘は上がったままだったそうで、「まだ自分には告解すべき罪があるのか!」と思ったそうですが、神父様が赦しの秘跡をさずけられるとすぐに肘は下に降りたのだそうです。神父様は霊を断ち切る祈りをされ、彼女は昔の罪から解放されました。
霊の解放の奉仕に携わる司祭は、この罪(の霊)との関わりを断ち切る祈りをしてくだいます。これは非常に大切なことなのだそうですが、こういうことはあまり知られていないようです。
ですから、皆さんが告解をした後は、神父様にお願いするか、自分で、(この場合は)「私は盗みの霊、呪いの霊を退けます。父と子と聖霊のみ名によって、アーメン」と唱えることをお勧めします。
こうして彼女は、赦しの秘跡がどういうものかということを体験することができました。彼女の体験は、参加者にとって、特に若者たちにとって、大きなお恵みだったと思います。
本当に神様は、私たちを赦したくて、み腕に抱えたくて、しょうがないんですね。
そのために、ロザリオの祈り、スカプラリオ、おメダイ、いつくしみのチャプレット、、、、などなど数かぎりない手段を与えてくださっています。
このいつくしみ年に、イエズスがシスターファウスティナにお与えになった数々のメッセージ、祈り(いつくしみのチャプレット、ノヴェナ、連祷などなど)とそれに伴う約束を、もう一度確認しつつ、せっかくくださった神様へ近づく手段を最大限に利用させていただきたい、と私、SUZUMEも思いを新たにしました。
シスターファウスティナの日記は日本語でも読むことができるのは、大きなお恵みですね。翻訳、出版にたずさわってくださった方々に感謝です。神様の大いなる祝福がありますように。
なお、上の例にある、「呪い」についてですが、悪魔的儀式を行ったり、日本で言うなら丑の刻参りなんていうのもありますが、そう方法で「人に呪いかける」ということだけではなく、私たちが日常口にする悪い言葉も「呪い」になり得ます。
最近の日本では、人に、「死ね」などということを平気で言うのを見て、私は心底驚いてしまいました。
こんな直接的な呪いではなく、「バカ」とか、「のろま」とかいうような言葉も呪いになります。
親御さんが、子供に言う「まったくそんなこともわからないなんて、バカなんだから。誰に似たのか」とか、「あんたなんて生まれて来なかったらよかったのに」とか、「早くしなさい! まったっくノロマだね」とか、、、、そのような「呪いの言葉」は、親としての権威があるために、実際に子供に影響を与えます。
私は、自分の子供に対して言った数々の呪い(傷つける言葉)については、すでに告解しました(これを書いているSUZUMEは33歳と28歳の二児の母です。)が、これからも、日々、悪い言葉は使わないように気をつけたいと思っています。
「おまじない」という言葉は、「お呪い」と書くように、確かに、少し魔法染みていますから、そのような言葉も使わないように気をつけたいと思います。
こう書くと、「そんなこと気にするなんて!!!ちょっと考えが狭すぎない?」と思われる方もいらっしゃるでしょうか?
私は、ミオの手伝いをするようになって、ミオがよく言う、「遊びのつもり、ちょっとした好奇心、信じていないけど面白いから、と言って私たちは簡単に悪魔に扉を開いてしまう」ということの結果を、実際に見てきましたので、霊の世界では、「遊びのつもり」は通用しないのだということを確信しています。
でも、神のいつくしみは限りなく大きいので、いつくしみの海に飛び込めば(赦しの秘跡)大丈夫!!! 大罪人ほど大聖人になる権利があるとイエズスはシスターファウスティナにもおっしゃっているではありませんか。
転んだら、罪についての認識、痛悔のお恵みを願い、罪を赦していただいて、また歩き始めましょう。
神に栄光!