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2017年2月14日 (火)

25. 「人生の癒しの祈り」の証し

リタ(洗礼名)さんが、「人生の癒しの祈り」に関する証しを送ってくださいました。

人生の癒しの祈りを続けるのは、祈りに反応が出て大変な作業です。途中で何度も投げ出したくなるのですが、そういう時、こういう証しは励みになりますね。

リタさん、ありがとうございました。

これからご主人のために、どうぞ頑張って祈ってください。私はあえて、「頑張って」と言いますね。「頑張る」は「何としても祈り続けます」という自分の意思の現れだと思うからです。こちらが固い意思を示せば、マリア様が助けてくださるからです。

神に感謝!

 

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みなさま

自分の「人生の祈り」を終えた感想をお伝えしようと思います。

 

私自身の祈りを終えたので、今は主人の「人生の祈り」をしています。

始める前は、主人の人生を祈ることに抵抗がありました。

自分の祈りだけでも大変だったのに、主人の人生のために祈るのは重いかな、負担かな、と思っていたのです。

 

でも、祈り始めてみると、主人に対して抱いていた私の心が軽くなっていることに気が付きました。(心の壁が随分柔らかくなっている!)

 

私は、母の胎内にいた時から今までの自分が癒されることを、私の人生で体験した傷が癒されることを、心底望んでいました。

恐怖心や、そこから来る緊張感や罪の意識から解放されたかった。

心を開き、自分と人生を受け止め、神さまに愛されていることを信じ、神さまに信頼したかった。

「人生の癒しの祈り」は、私が待ち望んでいたものでした。

 

ミオのセミナーに始めて参加してから直ぐにこの祈りを始め、祈り方の間違いに気付いて数回やり直して、5、6年の間、この祈りと共に過ごしました。

 

普段生活する中で、私はちょっとしたことで恐れや緊張感を抱いてしまうのですが、それこそが「祈りの反応なのだ」と納得し、「反応」を受け入れ、感謝し、捧げながらロザリオを祈りました。

とても苦しい時もありました。

苦しい時は、私の身近にいて、私よりもっと苦しんでいる人のために捧げながら祈りました。

 

祈り続けることができたのは、信頼していたから。

ミオのセミナーでの癒しの体験を通して、癒される喜びを知ったから。

講話で聞いていることは真実だと、自分の体験で理解したから。

癒しをくださる真理であるイエスに魅かれたからです。

 

「人生の祈り」を始めると、私が心を開くために必要な状況が次々に送られて来ました。

その状況は様々で、時には喜ばしい体験だったこともありますが、人の善意が怖くて、そう思う自分を責めたり、人を傷付けたりしたこともあります。そして、赦しの秘蹟に導かれました。

 

それらの体験を通して自分の心の壁を認識し、罪と罪の傾向を発見し、秘蹟を通して神さまに心を明け渡し、赦された時には「神さまに愛されている神の子ども」の喜びを心で体験しました。

少しずつです。

そうしながら、少しずつ進むことが出来ました。

 

昨年(2016年)のセミナーで、ミオは、「ここにいる人の中には、自分が神さまに愛されていることを信じることが出来ない人が多い」というようなことを言いました。

そして、「『私は神に愛されている神の子供です』と、女性は鏡を見るのが好きでしょう? 鏡にそう書いて自分の顔を見るときに読んでください。

男性はニュースやスポーツを見るのが好きでしょう? だから、紙に書いてテレビに貼ってください」と言いました。

 

私はセミナーから戻って、「私は神に愛されている神の子です」と紙に書いてあちこちに貼りました。

自分を責めて苦しい時に読むと罪悪感が和らぎ、励まされて、信頼して祈れました。

 

今、私は、私の人生において経験して来たこと全てに感謝しています。

時々過去を思い出し、つい、「こんな体験をするような人生じゃなかった方がよかったのになあ」と悲しい気持ちになったり、自分の罪の深さに胸が痛んだりもします。

でも、神さまがそれらの体験を通して今の私を準備して下さったのです。

悔い改めるなら、神さまは私の望みを聞いて下さることを体験しました。

そして、良いことも悪いことも体験させて下さったのは、どんな状況にも神は出口を用意してくださっていること、どんな時にも神に信頼して祈り続けて行くことを教えるためだと理解しています。

 

悪魔は大嫌いです。負けたくありません。

イエスさまもマリアさまもヨセフさまも、

天使も聖人も、私のすぐそばで守り、ともに祈っていてくださるのですから、戦います。

 

神さまは、「人生の癒しの祈り」を通して、私の出来なかったことを代わって成し遂げてくださり、壊れたものをも建て直して下さっています。

まるで、このように私が祈るのを待っていてくださったかのようです。

決して遅くはなかった、間に合ったのです!

「神さまの時」と言うのですか?

「神の慈しみの時」でしょうか。

 

これが、「人生の祈り」を終えて、祈りと共に経験したこと、感じたことです。

 

私ほど、神さまに愛されていることを否定し続けるガンコ者はいないと思います。そんな私を相手に、神さまは本当に大変だったでしょうに、と思います。

それで神さまは、たくさんの神の子供である人々との出会いと、その人たちを通して神のみ業を見るという恵みを下さいました。

感謝です。

神さまの栄光を讃え、賛美します。

 

ガンコ者なので、それでも神さまに愛されていることを否定してしまう傾向がまだ心の奥に残っています。

 

でも、イエスよ、あなたに信頼します!

私はあなたに愛されているあなたの子供ですから。

 

 

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