32. 親子による証し
2018年 明けましておめでとうございます。
昨年の暮れに体験したことを書き記して送ってくださった親子がいらっしゃいます。お二人の証をまとめてみました。
少し長いのですが、神様に感謝の心が湧いてきて、信頼する恵みを求めたくなるような証です。どうぞ、最後までお読みください。
青い文字で記したのがヤコブさんの証しです。
昨年の12月16日 息子さん(ヤコブさん、27歳)が、職場で突然腹痛を覚えます。強烈な痛み。嘔吐してもさらに痛みは増すばかり。その夜半、緊急外来に入院することになりました。
その夜、彼は沖縄戦らしい戦いで負傷した兵士が、野戦病院で足を麻酔なしで切断されている夢を見ました。ヤコブさんは、今年の沖縄でのセミナーに参加する予定でいますが、そのことと関係があるのかも知れないとSUZUME は考えます。今年もミオは、沖縄の煉獄の霊魂のために祈る予定でいます。
ヤコブさんが緊急入院したと言う知らせは、すぐにバラダチームに届き、チームは祈りを開始しました。
その後すぐに、ヤコブさんのお母さん(アグネスさん)からも連絡が来ました。癌を患っていたヤコブさんのおばあさんが、間も無く死を迎えるかも知れないので祈って欲しいと、いうことでした。この意向でもチームで祈り始めました。
ヤコブさんの腹痛は続きました。その痛みは筆舌に尽くしがたく、投与された強い鎮静剤も抗生物質も効かないほどでした。
この苦しみの中で、彼はイエスのご受難を思い、自分の苦しみを主のおん苦しみに合わせて捧げようと努め、天使祝詞(Ave Mariaの祈り)を祈ります。
こんなに苦しい時はアヴェマリアの祈りひとつも最後まで祈れないかもしれませんね。そうだとしても、ちゃんとマリア様がご一緒に祈って、祈りを主に捧げるに価するものにして捧げてくださっているはずです。よく祈れる時より、苦しい時の祈りには価値があるはずです。ヤコブさんは、証しを通して、それが本当のことだということを証明してくださいました。
彼は、この時の痛みについて、こう書いています。
「この苦しみは人が考えるほど、甘くない。ハンマーで腹部を叩き潰されている感じだ。言葉にできないほどのあまりの痛さに気絶した方がましだと思うぐらいだった。」
この後も症状は悪化するばかり。ヤコブさんの祈りの仲間の計らいによって、20日に緊急手術することが決まりました。
「12月20日 朝の採血の結果も芳しくなく、急遽、手術が決定した。手術にたいして不思議と恐れはまったくなかった。日本各地、世界中の私に関わりがある聖霊刷新のメンバーに祈ってくださるように求めた。手術は午後2時からのスタートだった。手術は4時間ほどで終わった。虫垂炎と腹膜炎の併発。腸の一部に膿がたまり、腫れていたのだそうだ。
幸い、虫垂は破裂していなかった。どうやら、死ぬ寸前だったようだ。」
手術は午後7時36分に終了。同時刻におばあさんが亡くなったという知らせが彼の父親の携帯に入りました。
術後の苦しみはまた酷いものだったようです。その夜、ヤコブさんは胆汁を吐き続け、時々うとうとしてはまた吐き、ようやく朝を迎えました。
22日には容態が安定してきました。
「昼過ぎに父が面会に来て、祖母と私の身体の痛みがあたかもリンクしているみたいだと話した。それは腹痛や血栓の心配などで共通点が多かったからだと思う。私も大好きな祖母を助けたかったが、祖母もまた私を助けてくれたと感じた。友の為に命をあたえるほど以上の愛はない。
その夜、いとこからLINEで連絡が入った。『おばあちゃんからいい香りがする』との事。また、祖母が死ぬ2日前に施設の職員に『神様のところに行く』と話していたというエピソードを聞いた。
その時、聖人は死んだ時に甘い香りがすること思いだした。例えばファチマのヤシンタやコルトナの聖マルガリタ、リマのローザ、、など。
祖母は天国にいったのではと私は思い始めた。この日から手術による痛みとは違う腹痛が私を襲った。夜の9時くらいから腹部がギューッと締め付けられ、20分に1回の割合でトイレに通った。出てくるのは胆汁のみだった。」
そして、12月23日のことです。
「金曜の夜から夜中にかけて相変わらず眠りが浅かったが、午前3時すぎに祖母の声で『私は今天国にいます。みんな、色々とありがとう。かおちゃんやまあちゃん(アグネスさんとアグネスさんの妹さん)、おじいちゃん、みんなによろしく伝えてください。天国はとってもいいところだよ~。』という声が聞こえたように思えた。
三回くらい聞き直したが、頭から消えなかったので、母にメールで、これは神様からのものかどうか識別を頼んだ。
また、マリアさまが、スカイブルーの長いベールとドレス(ベールの縁は薄いピンクがかった紫色)をお召しになって、右手を天に向け、左手で祖母の手をとり、天国へ導くビジョンを見た。
マリアさまは祖母の顔をしっかりと見ていた。微笑む、というよりは真剣な顔つきだった。
マリアさまは赤っぽい茶色の髪でウェーブが少しかかったような髪をされており、ベールから少しでていた。
自宅に戻ってから色々なマリアさまの御絵や御像を見たが、私が見た方は扶助者聖マリアのような顔立ちだった。
祖母は、白い服(初聖体で着るようなドレス)を着て、若い印象だった。腰は曲がっておらず、背筋はピンとしており、眼鏡はかけておらず、髪を耳にかけていた。20~30代くらいの印象だった。
その様子は子供のように嬉しそうで、マリアさまと雲の階段を上へと急いで登っていた。まるで大好きな人に会いに行くように。
その雲の階段にはちらほら薔薇の花と葉っぱが雲の上で咲いているのが見えた。
このビジョンとメッセージを受けた後は、祖母は天国に行ったのだと思えて、心は平安だった。
しかし、悪魔も巧妙だ。ヴィジョンや霊的な現象は識別する必要がある。それで私は母に識別を願ったのだ。
ヤコブさんはおばあさんの葬儀ミサには参列出来ませんでしたが、病室で祈りを捧げていました。
クリスマスイブには容態も安定してきて、本も読めるようになり、睡眠も取れるようになります。お母さんのアグネスさんがメジュゴリエの本をお見舞いに持って来ました。以前にも読んだこの本を、ヤコブさんは再び読み始めます。
本の中で、マリア様が「日常の小さな犠牲を捧げてほしい」とおっしゃっていることに気づきます。読んだその時から、ヤコブさんは犠牲を捧げることを実行し始めます。
このことは、マリア様はメジュゴリエでだけおっしゃっているのではありませんね。ファティマでもそれをとても強調されたので、ルチア、ヤシンタ、フランシスコは、日々の暑さを捧げていました。
日々の小さな不快なでき事に文句を言ってもその状況は変わらないし、文句を言うということは呪っているわけで、それは自分に返ってきます。
また、ただ我慢するだけなら、自分が頑なになっていきます。
でも、主に捧げるなら、主の尊いおん苦しみ、おん血の功徳によって、恵みに変えられるのです。素晴らしいことです!
ヤコブさんは次のように結んでいます。
「今回、私の受けた苦しみは、祖母をはじめ、世界中で亡くなった人、堕胎された人、煉獄にいる司祭、修道者の救霊の為に主がくださったものだと理解する恵みを頂いた。
手術前からの10日間に及ぶ絶食を通して、霊的に強められた。神様が生きておられること、私たちとともに働いておられることを、多くの祈りと愛、出来事から感じることができた。
そして、私にとっての大きな恵みは、マリア様やヨセフ様を深く知ることが出来たことだ。
神の計画に偶然はありえない。神の計画は人間が考える範疇を越えて、偉大だ。すべてのことは神の許された範囲で起きているのだ。
神の救いの計画は始まっている。この救いの計画に協力してくれる人を求めておられる。神のはからいに感謝!賛美!主に栄光! 2018年1月2日 ヤコブ」
こちらはお母さん、アグネスさんの証です。
昨年の夏、妹と私はS神父の捧げるごミサに預かりました。神父様はシスターファウスティナの日記から引用してお説教をされ、その時のお話が私たちの心に刻まれました。
神父様は、聖水は臨終の人にとって偉大な助けとなること(日記601)、慈しみのチャプレットは臨終の人のために極めて重要であること(日記1565)、ということを教えてくださいました。私たち生きている人間が、臨終を迎える方の霊魂の救霊のために手をかすことができるのです。
ちょうどその頃、母に卵巣癌が見つかりました。左脚全体と腹部に血栓がある為に手術ができないとの知らせに、妹は泣いていました。
その日、私の携帯にヨゼフィーネさんが聖霊に頂いた新しい曲「恐れないで」が届きました。フランチェスカさんが、「あなたたちの今の状況に対して与えられた歌だと思う」と、送ってくれたのです。
まさしくそれは今の状況に当てはまる曲でした。それからは妹と母と帰天当日まで「恐れないで」で神を賛美しました。
帰天2日前、いつもなら寝る前でも歌を歌っている母が、その日は歌わないで、『ありがとう。私はもうすぐ神様の所に行くの。感謝。』と言ったそうです。
帰天前日、病者の塗油をして頂きました。
その晩は妹が付き添い、バラダチームのCDで一緒に祈り、賛美し。ロザリオを祈ったそうです。
帰天当日の朝、バラダチームから「ヤコブ君の苦しみをお母さんのために捧げるように」というメールをいただきました。
息子のヤコブはこの度の母の急変とほとんど同時に、急性虫垂炎、腹膜炎、で腸に膿が溜まり、腸が腫れて腹水も溜まるという危険な状態でした。それで沢山の方が祈りを捧げてくれていました。
私は、息子の事は母にとっての救いの計画だと思い、起こっている全ての事を受け入れ、感謝し、神様に捧げました。
息子ヤコブの緊急手術の終了と母の死はほぼ同時刻でした。
神父様が母の死のすぐ後に来てくださって、亡くなった直後の祈りをしてくださいました。その祈りの本に挟んであった栞に『神様のなさる事は全て時に叶って美しい。コへレトの書』とありました。
私はこの一連の出来事は神様の救いの計画であったと確信し、神様に感謝と賛美を捧げました。
母の死後3日間、母の側で祈り続けました。というのも、家の中で木の床を動物が爪で引っ搔く音が聞こえて、足元を黒い鼠の様な動物が走り抜けるのが見えたからです
妹もカーテンの陰に鼠の様なものを見ました。それで目覚めて祈ることにしたのです。このネズミのようなものが霊的なものなのか、実際の動物だったのかはわかりませんが、仕掛けたネズミ捕りには何もかかりませんでした。
家中に祈りながら聖水を撒き、聖油で母の額に十字架の印をしました。
母が長年使っていた十字架の道行きの本には、『熱心に十字架の道行きをし、全免償を受ける条件を満たす者は、死後、最初の火曜日と金曜日に煉獄から出ることが出来る』という、イエス様の約束が載っていました。
十字架の道行きは祈りましたので、金曜日の夜中に家族でロザリオの苦しみの神秘を祈りました。
ロザリオを唱えた3時間後に、息子のヤコブが、亡くなった私の母の声を聞きました。そして、ビジョンを見たそうです。それはマリア様が右の手を天に向け、母の手を左にとって、雲の階段を登っているという光景です。雲にはピンク色のバラがあちらこちらに咲いているものでした。この雲の階段はみんなの祈りで作っていただいたのだと私は思います。
母の死後も、家族の中に救いのみ業と神の恵みが働いています。
一連の出来事は「恐れないで」の曲の通りになりました。
主の栄光。主に賛美と感謝。2018年1月2日 アグネス
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参考までに、全免償を受ける条件
1.前後の数日~数週間のうちに、罪に対する執着を捨て、ゆるしの秘跡を受けていること、また受けること。
2.同じ期間のうちに、聖体拝領をすること。
3.ローマ教皇の意向のために、クレド、主の祈り、アヴェマリアの祈りを祈ること。