39. SUZUMEの証し
こんにちは、SUZUME-SUZUMEです。
今日は、私のことをお話ししたいと思います。少し、長くなるかも知れませんが、どうぞお付き合いください。
2014年に、ミオと当時通訳をしていたエミーナと日本に来た時のことです。
その年は、秋田の聖体奉仕会をお借りしてのセミナーが予定されていました。いろいろスケジュールを調節したのですが、曜日の関係などで、どうしても軽井沢でセミナーが終わってから秋田で始めるまでの間が、4日間も空いてしまいました。
その間に1日の日帰りセミナーを入れようと試みたように思いますが、それもうまく行きませんでした。
ミオはヨーロッパでもあちこちでセミナーをしているため、日本のためだけに時間は取れません。ですから、普段はこんなスケジュールを立てることはありません。それなのに、その年はミオも了解してくれました。
「しょうがない、この四日間は休みの日にしよう。でも、ミオと一緒なら決して退屈なことはないから、何かが起こるはず。イエス様、何を予定されていますか?」
あとは、イエス様にお任せすることにしました。
そして、軽井沢での二つのセミナーが無事終わりました。その日は土曜日で、ミオとエミーナ、そしてセミナーを手伝ってくださったP神父様とSUZUMEとSUZUMEは、修道院にもう一泊しました。
翌朝、修道院のシスター方と一緒のごミサにあずかった時、P神父様が、突然私の方を向いて、「このごミサは、SUZUMEさん、あなたのお母さんのために捧げます。」とおっしゃいました。
私は、理由がわからず少し面食らいましたが、もちろん喜んでお受けしました。
そのあと、私たち5人は新幹線で東京に向かっていました。
突然、私の携帯が鳴りました。妹からでした。
「お姉ちゃん、ママが死んだ。」
土曜日の夜遅くのことだそうです。ちょうどミオのセミナーが終了した日でした。
「あ、だから、神父様は母のためにごミサを捧げるように聖霊に促されたんだ!」
すぐに神父様とミオたちに知らせ、祈ってもらいました。
私もすぐに慈しみのチャプレットを祈りましたが、実は考えはいろいろなところに飛んでいました。
「今、私がすべきことは何か?」
「このあと、とりあえずミオたちを秋田まで連れて行こう。その後で秋田から実家のある空港まで飛ぼう... それから......えーと...」
「あ、秋田での通訳と賛美奉仕は無理かもしれない。誰か他の人を探さなくては...」
「このこと、誰と誰に連絡すべきだろう... えーと、えーと...」
「あ、いやいや。自分の力に頼るなとイエズスはいつもおっしゃっているじゃない! まずは深呼吸して、、、
イエスよ、あなたに信頼します。
この状況をお受けします。この状況に感謝します。この状況においてあなたの栄光を現してください!」
母のことは妹に全て任せ、私は羽田からミオたちを聖体奉仕会まで案内しました。実家へ向かう飛行機がその日のうちにあったかどうか、もう覚えていません。
でも、聖体奉仕会で時間があったことはよく覚えています。3月の下旬で、ちょうど雪が積もっていました。ミオが、「参加者と十字架の道行きをしたいから」と言うので、シスターも手伝ってくださり、みんなで雪かきをすることになりました。
そのあと、私は、いつ、どうやって空港へ行き、実家に戻ったのか、すっかり記憶から脱落しています。
一晩、母の遺体と一緒に実家に泊まった記憶はあります。
私が文字通り飛び回っている間に、妹が全て葬儀関係の準備をしてくれました。もちろん、祈りながらでしょう。
最初は取れなかった斎場の予約や、その他いろいろな問題が解決されていきましたから、イエス様が助けてくださったに違いありません。
葬儀ミサの前日、妹と私は、母の棺と一緒に教会に泊めていただき、ご聖櫃の前で、母の魂のために祈り、主に賛美を捧げました。
母の眠る棺は、まるでお花畑のような、それは美しい色とりどりの花で飾られていました。花の好きだった母にはぴったりに思えました。
このような手配は、妹の教会の信者さんご夫婦が全てしてくださいました。
84歳の母の顔は、見るたびに若返って行き、葬儀の時はとても若々しく、微笑んでいるようにさえ見えました。
親戚の人たちも、これには驚いていました。
葬儀ミサの時は、喪主である私たち二人が、詩篇を歌わせていただきました。
(これは、普通じゃないかもしれないですね。)
こうして全てを終えてみると、ちょうど4日がすぎていました。
私は翌朝秋田に向かい、ミオのセミナーの手伝いをすることができました。
このようなこと、神様以外の誰が出来るでしょうか?
どこかで、ほんのすこしでもタイミングがずれれば、このように事は運ばなかったはずです。
実は、この年、日本往復の航空券を用意する時、私は、「母の時は間も無く終わる」と感じました。
ですから、帰りの飛行機を変更できるようなチケットを買っておいたのです。
こういうチケットを購入したのは、後にも先にも、あの時だけです。
私の考えでは、「ミオのセミナーが終わった後、母が入院することになって、私はしばらく付き添うことになる、、、かも」でした。
でも、神様のご計画は全く違って、たった四日の間にすべてを終えられたのです。
ミオとエミーナがヨーロッパに戻ってから、私は再び実家へ行き、母の持ち物の整理をしました。3週間ほどかかったでしょうか?
それもようやく終わり、私はまた東京に飛びました。飛行機を降りた頃はまだ元気だったのですが、家へ戻ると私は倒れてしまいました。
気づかないうちに、疲れが溜まっていたようです。
翌日から高熱が出てきました。それでも、後少しでドイツに戻らなければなりません。
お医者さんに行きましたが、原因はわからず、高熱も引きません。
「イエズス、あなたに信頼します。」
「イエズス、私のすべてを捧げます。計らってください。」
「この状況を受け入れます、感謝します。栄光をあらわしてください。」「ダビドの子、哀れんでください。」
熱があって、ロザリオの祈りを唱えながら寝てしまうので、短いお祈り(射祷)は助かります。
いよいよ、ドイツへ戻るという前日、なんとか、スーツケースだけは詰めました。そして、宅配を呼びました。とてもスーツケースを持って歩けないと思ったので、荷物を空港に届けてもらったのです。
日本は便利ですねえ! こんなことができてしまうんですから!
出発当日、なんとか空港に着きました。チェックインをしようとすると、カウンターに座っている若い地上係員が、「お客様、このお席は大変ですね。もう少し良いお席をご用意できると思います。」と言うのです!
でも、その席は、一番前の壁の後ろ。結構足を伸ばすことができる広いピッチのあるお席です。
これ以上良い席を用意してくれるというのは、一体どういうことだろう?
そもそも、こんなこと、普通は言わないはず。だいたい彼女のような若い係員にそのような権限はないはず。
私のチケットは、何の特典があるものではないのに、なぜそんな申し出をするの?
でも、私はまだ熱があって、物を考えることも、人と話すこともしたくなかったので、そのまま手続きを進めました。
すると、飛行機へ乗る前に呼び出され、新しいチケットを受け取りました。
それが、ビジネスクラスのお席だったのです!
私は飛行機が離陸してし飛行が安定すると、すぐにベッドを作り、横になりました。一刻も早く眠りたい! すると、親切な日本人キャビンアテンダントが、「これをお使いください」と言って、ペットボトルにお湯を入れた簡易湯たんぽを持ってきてくださったのです。
こんな親切なキャビンアテンダントには、何年も出会っていません!
なぜ、私が具合悪いと分かったのかは知りませんが、おかげで私はドイツへ着く間際まで、ぐっすりと眠ることができました。目が覚めてみると、熱はすっかりと下がっていて、元気に家に戻ることができました。
私がいなかった四日間、ミオとエミーナはS神父様と秋田のHさんと一緒に
土地の祈りをしたそうです。
イエズス様、素晴らしいおん計らいに感謝します!
栄光をあらわしてくださいったことに感謝します!
主に、賛美と栄光!