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2018年6月22日 (金)

45. 参加者の証(マリア ミカエラさん)

長い話になりますが少々の間お付き合いください

 

という始まりで、マリア ミカエラさんから証が届きました。

 

私たちの主なる神は、いつも私たちを見ていてくださる。

求めるなら、必ず応えてくださる。

ただ、こちらが心を開いてより頼むなら、必ず最も必要な助けをくださる。

 

ということを、体験された方の証です。

この証も、きっと、たくさんの方々の力になると思います。

マリア ミカエラさん、ありがとうございました。

 

 

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私は10年以上の間犯罪にき込まれたことによるPTSDと統合失調症でまされてきました
酷い時には口から蜘蛛が這い出てくるの中に飴色の蟻が群がっているなどの幻を見離れて住む親にすら何も言えず泣きながら何度も通っている精神科に電話をしたものです


そのうちに薬の量がえて行き副作用から1年間生理がないということもありました
傍から見た私は本にボロボロだったのでしょ同じ教会に通ある方が相談にってくれるよになりました


その方と大分親しくなったある日、彼女が私に聞いてみる?と言って聞かせてくれたのがセミナーでミオを通してイエス様がその方にくださったメッセージでした
の方を通して聞いたその言葉は優しく私の心に響き、私はこの人に会わなければとい気持ちが自分の中に押し寄せてきたのです


その後秋田でミオのセミナーが行われると聞き、「秋田ならばなんとか行ける」と思い、旅費を工面して参加しました


セミナー中は素晴らしい日でした

明日の朝、目めた時には、私は完全に狂っているかもしれない」という恐怖に震えながら眠りについていた日々が嘘のような数日間でした


今も心にっているのは個人面談でミオが私に語ってくれたイエスからのメッセージです。

わたしはこの宙を創った時あなたがどれほど喜ぶかを思いながら創った」。


私は子供のころから星が好きで望遠鏡でよく空を観察していました。月や惑星星々の美しさをこよなく愛していたのですそんなことをミオが知るはずはありません

 

私は抑えきれない感動にを流しながらそのメッセージを受け留めました。その日の夜に見上げた星は、子供のころに感じたあの美しさを取りしていました


私にミオのことを教えてくださった方が、セミナーで総告解をするといいよと言ってくれたのでこの日のためにノートページに過去の過ちを思い出しながら書き連ね告解の準備をしましたそしてセミナーで赦しの秘蹟を受け償いの十字架の道行を他の参加者と共にしました。

 

その後の喜びの中で受け取ったあのメッセージは私の心に清水のよに染み込み癒しとい潤いを与えていったのだと思います


セミナーも終わり、私は幸せな持ちを抱えて地元にりました。しばらくして、も大分良くなってきたししよと主治医から告げられが大幅に減りました今では初期のころの半分以下です
周りの人々からもあなたが精神の病だなんて思えないと言われるほどに良くなりました


いまだ完治したと言わけではありませんがや幻妄想におびえていた頃とは比べようもないほど日がしく感謝にちた日々を過ごしています
完治しないのはまだそれが私に必要な十字架なのだと思い日々を送っています


癒しというものがにあるのだということを、この身に教えてくれたイエスとマリアそしてミオとセミナーのために働き祈ってくれているすべての方々に感謝をささげてこの手紙を終わりたいと思います。 マリア ミカエラ

 

 

 

マリア ミカエラさん。イエスは私たちが完全に癒されること、健全な精神を持つことをお望みです。おっしゃるように、今いただいている十字架を受け入れ、感謝して、主が栄光をあらわしてくださるように、信頼して祈るなら、主がお望みになるように癒してくださると思います。


祈っていく途中、困難もありますが、そんな時は一人で対処するのではなく、マリアミカエラさんに声をかけてくださった方と共に祈りあうのがいいと思います。


私たちは弱いですから、祈りの仲間が必要なんです。もし、祈りのグループがあるなら、どうぞ、定期的に集まって祈ってください。

お互いに祈りで支え合う仲間ほど素晴らしいものはありません。


数人が集まって祈る時に気をつけることは、「決して人のことを批判しない。悪意ある言葉は言わない。悪い噂を信じない。悪い噂を聞いたら、それを言った人と言われた人のために祈る」ということです。


つまり、悪魔に入り口を作らないことです。

 

癒しにはプロセスがある、と私はミオの付き添いをするようになってから思うようになりました。

身体的な問題が癒されていく過程で、心が癒されて行きます。なぜなら、体の癒しを願って祈ると、心が照らされて自分の罪が見えてくるからです。


告解によって心が清められ、癒されると、身体の癒しが進みます。

そして、神の慈しみと愛を言葉ではなく、体験を通して理解して行き、自分における神のみ旨を知り、神の道具に変えられていく、、、のではないでしょうか?

 

私たちは皆、大きな傷を持っていますが、自分が傷ついていることに気づかないことも多いですね。

傷があるうちは、人を傷つけてしまします。特に、同じ傷を持った人を攻撃してしまいます。


でも、祈りを始めるか、誰かが自分のために祈ってくれていると、イエスの方を向き、罪を認める恵みがいただけます。

こうして、内的癒しが始まり、身体にもそれが現れてきます。

癒されると、同じ傷を持った人を理解し、助けることができるようになります。


受け入れ、感謝し、神の栄光のために捧げることができるようになると、「欠点だらけの傷にまみれた私」も、神に奉仕できる者に変えていただけるのです。

 

人生の祈りをすることが、傷が癒される近道ですが、途中経過は大変です。でも、必ず良い方向に導いてくださるので、根気よく祈り続けていきましょう。SUZUME

 


 





 

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