54. ミオの本に関する証し
こんにちは、SUZUME-SUZUMEです。
前回の記事でお話ししたように、今日はミオの著書「信仰の三つのステップ」に関する証しをご紹介したいと思います。
Yさんからいただいたお手紙を書き写します。
========================
†主に賛美
私は睡眠時間が短いせいか、めったに夢を見ません。そんな私が2月のある日、鮮明な夢を見ました。
夢の中で、とても美しいブルーの色が、迫って来るように目の中に入ってきました。
「これは何だろう?」
そう思いながらようく見てみると、そのブルーの色は雲ひとつない空でした。
どうやら私は、一枚の美しい絵を見ているようです。その絵の上部3分の1ほどに、抜けるような空が描かれています。
絵の中央部分に、天の御父の家が建っています。
その家の向かって左側に、イエス様が細くて長い棒のようなものを右手に持って立っておられます。イエス様の前にはたくさんの羊がいるのですが、この絵の中で、なぜか羊の群れだけが動いています。
イエス様が手にされている長い棒は、「羊がどこからでもイエス様のおられる場所がわかるためのものだ」、ということが心の中に教えられました。
イエス様がおっしゃいました。
「私を通らなければ、決して父の家には帰れない!」
そこで目が醒めました。
「やっぱりそうなんだ…」と、私はイエス様の言われたことを考えながら、しばらくぼーっとしていました。
3月の末、初台教会での祈りの集いに参加した時のことです。
部屋に入ると、出来立てのミオさんの本が置いてありました。
一冊手にとった時、「これだわ!」と叫びたい衝動に駆られました。
「この色! この空! この教会は御父の家! 入り口の形状も同じ!」
あの夢はこの表紙の写真と同じでした。
「たくさんの人がこの本を通してイエス様に導かれる、ということなのだわ!」と
私なりに理解しました。
裏表紙を見ると、ミオさんが見たヴィジョン(下記参照)、羊の群れと良き羊飼いのことが書かれてあって、二度驚いたのです。
この本がたくさんの人の手に届きますように!
ーーーーーーーーーー❤️❤️❤️ーーーーーーーーーーー
Yさん、すばらしい証しをありがとうございました!
実は、今年3月と4月のミオのセミナーの付き添いをしている最中に、私のPCが突然真っ暗になり、それ以降動かなくなってしまったのです。まだ三年しかたっていないので、こんなに早く壊れたことに驚いてしまいました。
大切なデータがたくさん入っているのですが、ミオの本の原稿もそのひとつです。
とにかく日本で新しいPCを買い(予想外の出費にショック!)、ドイツに戻りました。データは日本に行く前に保存をしたので大丈夫でしょう、と思っていたのですが、家に戻って外付けデータを開いてみて驚きました。
肝心なミオの原稿が保存されていないのです。
ダブルショック!
こんな時は三つのステップで祈るしかありません。
そして、気を取り直して新しいPCに縦書きソフトをインストールして、最初から原稿を打ち直すことにしました。
初版の原稿のPDFは残っていたので、そのまま印刷して本にすることはできるのですが、前回の記事でお話ししたように、目をつぶって見逃すことができないほど、たくさん不備があるため、最初から書き直すことにしたのです。
原稿を入力し直す作業はとても時間がかかるために、他の仕事(講話CD制作や新しい歌の楽譜書きなど)が全くできなくなります。
でも、Yさんの証しがあったので、私は「信仰の三つのステップ」の本を最優先にすることにしました。この本はイエス様がお望みになっている、と思うと、力も湧いてきます。
私は日本から4月末に戻り、自由になる時間は「信仰の三つのステップ」の本の入力作業をして来ましたが、あさっての6月21日にまた日本に向かうため、作業は一度ここでストップせざるを得ません。
待っていてくださる皆様には、本当に申し訳ありませんが、今しばらくお待ちいただくようにお願いします。
第二版が刷りあがりましたら、こちらでお知らせいたします。
Yさんの夢は、他の方にとっても意味がある内容だと思いますが、私にとっても「確証」となりました。
Yさん、夢の内容を教えてくださったことを、本当に感謝します。
このようにして、私たちはいただいた賜物を使って、お互いのために役立てることができます。
すべての賜物の与え主である聖霊よ、あなたに賛美と栄光! suzume
参照:裏表紙に書かれているミオのヴィジョン
私はずっと以前から日の入りを見るのが好きで、太陽が沈んでいくのを見ながらお告げの祈りを祈るのが習慣でした。その日もいつものように祈っていると、一つの幻《ヴィジョン》が与えられました。羊の 群れと善き羊飼いであるイエスが見えたのです。イエスは私を見つめてこう言われました。
「私の羊を牧しなさい。今日から私の畑はあなたのもの、あなたの畑は私のものとなる」。
イエスが私に福音宣教するようにと言われていることは明らかでした。イエスご自身が私の畑、つまり農園の世話をしてくださるというのです。