57. フレンツ神父の札幌での黙想会の証し
こんにちは、SUZUME-SUZUMEです。
今日はリタさんの証しをご紹介しようと思います。リタさんは札幌/花川で行われた黙想会の手伝いをしてくださいました。
私たちは、札幌での黙想会の場所を決めるのに随分迷いました。最終的に花川マリア院ですることにしたのですが、少し迷いも残りました。
この黙想の家は二階と三階に宿泊できますが、男女同じフロアには泊まれない規則があります。男性のフロアの部屋が空いていても、女性の参加者が多いために女性参加希望者全員が宿泊できないのです。
しかし、黙想の家自体もその周りの環境も、黙想会にぴったりで、「ここに決めてよかった」と思いました。
黙想会も終わる頃、食事の席でリタさんが他の人に語っていることが耳に入りました。それを聞いて私は思いました。
あら、まあ! 神様は、このマリア院を最初から決めていらっしゃったのだわ!!それも何年も前から!!! 決して私たちが決めたわけではなかったのだ、、と。
神に感謝!
ーーーーーーリタの証しーーーーーー
フレンツ神父さまの札幌黙想会の日、私たち運営チームは準備のために参加者よりも早く花川マリア院に入ることになりました。
初めて訪れる花川マリア院です。これから始まる黙想会のために、み旨が行われることを願い、感謝の気持ちを込めて祈りを捧げたいと思い、すぐに聖堂に向かいました。
明るい聖堂です。正面に祭壇があり、白い壁には聖フランシスコの十字架、それも立体的な十字架が掛かっていています。あとでシスターに教えていただいたのですが、この十字架はアッシジから直接送ってもらったものだそうです。
その壁は聖堂の三角屋根の形に沿って三角形に切り取られていて、その三角になった右と左に対角に屋根に沿って細いステンドグラスが斜めにはめ込まれていました。
ステンドグラスからは、色とりどりのきれいな光りが柔らかく聖堂の中に落ちていました。
その光の中で祈っていると、とても満たされた平和な気持ちに包まれました。私はそのまま沈黙のうちに十字架を眺めて座っていました。
すると、唐突に小学3年生の時に見た夢を思い出しました。
夢の中の私は三角屋根の白い壁の家の中にいます。そして、その家の三角の壁の上の方にある左右対称に斜めにはめ込まれた細い窓を見ているのです。
窓はステンドグラスではなく普通のガラスでした。そして厚手のきれいな模様のカーテンが細い窓に合わせてあつらえてあって、カーテンは閉められていたように思います。
「なんて素敵な家だろう、こんな家に住みたいなあ」と思い、しばらくはこの印象的な夢のことをよく覚えていたのですが、長い年月が経つうちに、しだいに私の記憶の奥に埋もれていきました。
その夢の記憶が聖堂の中で突然戻ったのです。ひとたび心に蘇ると、初めて訪れた聖堂と夢との繋がりが一瞬のうちに解き明かされて、小学3年生の時に見た夢は、神さまが後の私に用意していることを前もって教えてくださったものだということに気が付きました。
私はここに来るべくして来たのです。ここに来ることは神さまのご計画だったのです。
夢の中のカーテンで閉ざされた窓は、今は美しいステンドグラスに変わり、その色とりどりのやわらかな光りが私の心の中に差し込み、温かく満ちていきます。
私の心は喜びでいっぱいになりました。
無事にここに辿り着いたことの喜び、御旨によって生かされていることの喜び、神さまが愛を以って私を創ってくださり、ここに来ることを計画していてくださったことの喜び、その神を心からの信頼する恵みをいただいたことに対する喜び、などなど、あらゆることに対する喜びが心の中から湧き出て来たのです。
これまでの険しかった人生と信仰の道のりも、曲がりくねった道を喘ぎながら辿ったときの辛い思いも喜びに変わり、全てが平らになって広がるような、今まで味わったことのない平和と、ここに導かれたことへの感謝と、私を創ってくださったお父さんが私の神であることの確信、神への信頼の気持ちとが溢れてきました。
この夢の出来事をチームのメンバーに伝えると、「それは、札幌での黙想会は花川マリア院で、と神様があらかじめ決められていたという確証だわ」と喜んでくださったのです。
私は、自分が生かされて今ここに呼ばれたのだということをますます強く感じました。感謝の気持ちと、神さまのくださった喜びと平和で満たされました。
神さまの愛が私をお創りになり、神様の愛の中で私は生まれ、そして生かされて無事にここにいるのですね!
黙想会後も古い自分に引き戻そうとする誘惑と戦いながら、フレンツ神父さまの個別の祈りによって頂いた癒しの恵みに支えられています。
この出来事を通して知った御父の愛に信頼します。
神に栄光!! 感謝と 賛美!
♡♡♡ ♡♡♡ 追記 ♡♡♡ ♡♡♡ ♡♡♡
リタさんが洗礼を受けたのは1981年、24才の時だそうです。
まだ神様を知らなかった小学校三年生のリタさんに、フレンツ神父の黙想会の手伝いをするために2019年に花川を訪れるリタさんのことを、神はあらかじめ教えてくださったのです。
御父には一人一人に聖なるご計画があって、それをこうして見せてくださることもあるのですね。
なんだか、私はとても感激しています。
リタさんは呼びかけに応えて洗礼を受け、紆余曲折後、彼女に送られた天使の助けによって再び主に立ち返り、神の愛と慈しみを知り、主への信頼を増し、 ついに幼い頃にみせていただいた場所に「居る」ことができたのです。ああ、本当によかったです!
私たちが神の声を聞いて従うなら、はじめのご計画を実行されるのですね。
神に感謝!
自由意志を尊重される御父は、決して無理強いはなさらないので、もちろん、私たちは自分が選んだ道を行くこともできます。けれど、魅力的に見えたその道の先には、結局、苦しみ、不幸、悲しみ、破滅が待ち受けていた、、ということになるのです。
信者であろうと、まだ聖三位一体の神を知らない人であろうと、神様は「あなた」をご存知で、「あなたにとって一番良い道」を用意してくださっていて、その道を行くように呼びかけられます。
ああ、これまで、私は何度その呼びかけを聞き逃してきたか…と、ひやっとします。
私は20代の初めに海の事故にあって大怪我をしました。でも、大怪我で済んだのは神の憐れみでした。あの時、死んでもおかしくなかったのです。まだ、その時はイエスに出会っておらず(小さいときから呼びかけはあったのですが、そのときはそれが呼びかけだとは気づきませんでした)、滅びの道をまっしぐらでした。
どなたかが祈ってくださっていたのでしょうか? 御父はあのとき命を取り上げられなかったのです。
手術の時には何の神秘的体験もしませんでした。麻酔ですぐに眠り、真っ暗闇から突然痛みで目が覚めたのです。あの当時は死を恐れる気持ちもなく、生きて目覚めたことにも感謝しませんでした。
事故から10年ほどして恵みによって洗礼を受けましたが、聖霊についてはずっと後まで知りませんでした。
聖霊を体験したとき、あの海で私を抱きかかえて波の間を浜辺まで歩いて来られるイエスのヴィジョンを見ました。
まだ神を知らなかった私を憐れみ、永遠の死から救ってくださったことに驚きを感じました。
本当に神様は、一つの魂を救うためにすべてを与え尽くしてくださったのだ、今でも迷った霊魂を探されているのだと思いました。
「♫神の愛を知ったなら、礼拝せずにおられません🎶」(最近いただいた曲の歌詞です。)
神の愛と憐れみ、忍耐に感謝!
…なぜか私の証しを書いてしまいましたが、リタさんの証しに触発されて、「一人一人における神の聖なるご計画」についてしばし思いをはせていました。
すべての人が、神のみ声に「はい」と答えるお恵みがいただけますように、神様がご計画された道をあゆむ恵みをいただけますように祈りたいと思います。
神に栄光!