フォト
無料ブログはココログ

« 66. メジュゴリエ FMラジオ通訳 | トップページ | 68. ミオと祈るロザリオ 証し »

2019年9月23日 (月)

67. メジュゴリエ 断食について

この記事をもちまして、メジュゴリエ巡礼シリーズは終わりたいと思います。

ミオのセンターについては、また家に戻ったときにお話しします。

ーーーーーーーーーーーー

今回は、『断食について』です。

私について言えば、回心のお恵みをいただいた頃は、心が燃えていたせいか、若くて体力があったせいか、パンと水でもさほど辛いとは思いませんでした。でも最近は、パンにはバターをつけ、暖かい飲み物(紅茶、日本茶、コーヒーは一杯だけ)を飲んでいます。また、この二年間は旅行が続き、断食ができなくなることもしばしばです。でも、気がついたときに、「また今日から新たに始めます」とマリア様に言って再開しています。

私が始めてメジュゴリエ巡礼をしたのは、1998年か1999年だったと思います。ドイツの巡礼団に加わってバスで二日かけて行きました。まだドイツ語がさっぱり分からなかったのですが、なんとか皆さんとご一緒できました。私が驚いたのは、マリア様のメッセージを実行して当然水曜日と金曜日は断食すると思っていたのに、皆、普通に食事を摂っていたことです。

それ以来毎年メジュゴリエに行きましたが、どの巡礼団と行っても断食をしないのです。もちろん、病気がある方や、何かの理由で断食ができない方もいらっしゃると思いますが、巡礼者の誰も断食をしません。なるほど、断食は難しいことなんだ、だからこそ、「祈りと断食」は大切なのだと思いました。(マタイ6.16)

あるとき、『メジュゴリエドイチュランド』というグループと巡礼したのですが、リーダーが「断食をしたい人?」と聞いて、手を挙げた人とそうでない人のテーブルを分けました。こうして、私はこのとき始めて巡礼団のみんなと断食ができたのです。グループの中で一人だけ断食をしようとすると色々問題がでてくるので、このやり方はいいと思いました。それ以来、私が企画する巡礼の時は、皆に「断食をしたい人」と聞くようにしています。今回はほとんど全員が手を挙げてくれました! 嬉しい驚きでした。

さて、前回の記事で書きましたように、ソフィさんが賜物を使い始めてくださいました。

今回のメジュゴリエ巡礼者の中から、「断食する意味がわからない」「教えて欲しい」という声が上がっていました。(つまり、意味がわからないのに、マリア様のことばに従ったということですよね。こういう姿をみると、胸にぐっと来ますね。これ、マリア様の「フィアット」だと思います。)

 

Img_7358

 

 

ーーーーーーーー以下、バルバロ神父さまの本の一部 ソフィさんの訳

Fasting(断食)  スラヴコ・バルバリッチ神父

Why fast on bread and water?(なぜパンと水での断食ですか?)

 

聖母は「一番よい断食の方法は?」と聞かれて、「もちろんパンと水です」と答えられました。

主からの呼びかけがないと、いきなりパンと水だけの断食をするのは難しいかもしれません。他の方法で始めて「一番よい断食」にだんだん近づくやり方もあります。

ある種の食べ物を絶つ、調味料を使わない、嫌いなものを食べる、デザートを抜かす、食べる量を全体に減らす、などです。重要なことは「今」始めることです。

 

しかしメジュゴリエではパンと水の断食が強調されており、それには深い意味があります。パンは貧者の食べ物です。パンがあるかどうかは我々が生きていく上で非常に重要なことです。聖書はしばしばパンについて述べています。荒野の旅の間、神はその民にパン(マナ)を与えてくださいました。イエスはその教えの中で天からのパンについて語りました。疲労困憊した預言者エリヤには天使がパンと水を運び、エリヤはそれを食べて元気を取り戻し旅をつづけました。

 

一方福音書によると貧しい人々はイエスに最も近いところにいるのです。彼らはイエスと共に食べ、彼に従い、その言葉を聞きました。イエスは群衆に向かって話してから、イエスの言葉にも実際の食べ物にも飢えていた彼らのために、イエスはパンを増やしました。地上のパンを増やすことで、イエスは天からのパンを受けられるよう彼らを整えたのです。

パンと水で一日を過ごそうと望むことは、神の前で貧しいものでいたいとの望みを持ち、神の意志に従うことを表わします。それは預言者の足跡をたどり、試練を受け信仰を証してきた人々の跡をたどることになります。

 

パンは主の民の基本的な食物であり同時に命のシンボルでもあります。水も同じようにかけがえのないものです。水はまた霊的な清めのしるしでもあります。これらのことから、そこに示されるメッセージは明らかです。「命に立ち返り生きなさい、清くありなさい」ということです。

 

私たちは週に二回パンと水で生活するように招かれています。聖母がおっしゃるようにパンと水でする断食は理想的です。この方法で週に二回断食する人は、体と霊と魂に良いことをしていることになります。

神の母は、私たちを完全な自由意志を持ったものとして招いてくださいました。ですから私たちが非常に疲れていたり体調が悪い時には、お茶かコーヒーを飲み少し食べてもよいのです。

 

=====以上

ソフィさん、ありがとうございました!

 

 

 

 

« 66. メジュゴリエ FMラジオ通訳 | トップページ | 68. ミオと祈るロザリオ 証し »