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2019年9月19日 (木)

61. メジュゴリエ証し1

メジュゴリエ巡礼の証しです。はじめに、マリアテレジアさんが書いてくださった証しをお届けします。SUZUME−SUZUME

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「マリア様、メジュゴリエに呼んで下さい。」

2016年、SUZUMEさんのツアーに私は参加することが出来なくて、このお手紙を託しました。

マリア様宛の手紙には他にも色々書きましたが、冒頭はこの言葉でした。その私の願いを聞いてくださって、マリア様は今回私をメジュゴリエに呼んで下さいました。

 

メジュゴリエに行く目的は、「心からの回心」を体験したかったからです。これまでメジュゴリエに行った人たちが変化していく姿を目の当たりにして、「私も行きたい!」と強く思うようになったのです。「いらないものを全て捨てて、イエスの弟子になりたい」という思いでした。

 

今回はミオさんのセミナーでご一緒したメンバーばかりでしたので、安心して行くことができました。

そして、偶然にもフレンツ神父様もいらしていて、日本人の私たちに会えたことを心から喜んで下さっていました。

 

そして、神様の配慮でフレンツ神父様に祈って頂く機会を得て、メッセージも頂きました。

 

その翌日には、十字架山の登山をしながらの十字架の道行きをしました。

朝3時に起床して、まだ暗い4時にホテルを出発するというハードスケジュールでした。

 

道行きの祈りはエンツィラーの『ひとりひとりの十字架の道行き』でした。私は今までお恥ずかしながら、あまり道行きの祈りをしていず、この本も持っていながら、数回しか祈っていませんでした。

 

山登りの経験があった私は、山登りは神様との対話の絶好のチャンスと捉えて、一歩一歩祈りながら登りました。

 

第1留、イエス死刑の宣告を受け給う 

ここで、いきなり涙が出てきました。第2留の時も同じでした。T神父様の穏やかな声が深い黙想へと導いてくださり、なんとも言えない感覚を覚えました。これを内的祈りの状態というのでしょうか?

 

第12留、イエス十字架の上に死し給う 

 みんなが十字架に架けられたイエスのみ前で跪き、頭を垂れていた時、ジェームズ教会の鐘がカーンカーンと鳴りだしました。それはあたかも、古い自分がそこで死んで、新しい命への再出発の鐘のように思えて、心が震えました。

 

そして、最後の14留を祈り終え、頂上に着いた時、朝日が昇ってきました。神様が私達人類を祝福して下さり、愛して下さっていることを実感できた感動的な瞬間でした!

みんなで手を挙げ、「アレルヤ!」と叫び、主を賛美しました。

 

この道行きを通して、私はイエスの限りない愛を体感することができました。とても貴重な体験でした。

 

このお恵みをいただけたのは、前日にフレンツ神父様に祈って頂いていたことが大きかったと思います。そこから神の川が流れ始めたように思います。

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Img_7601    

(撮影した位置は違いますが 二枚とも十字架の山クリージェバツです。下の写真のてっぺんにかすかに十字架が見えます。写真をクリックしていただくと、もう少しはっきり見えます。 SUZUME)

登る前、下から見上げた十字架の山はなんと高かったことか…。

でも一歩一歩、確実に足を前に出していった結果、あの見上げていた頂上につくことができました。

信仰も山登りと同じ。マリア様のおっしゃっていること、『ロザリオ、断食、ご聖体、赦しの秘跡、みことば』のダビデの5つの石を一つ一つ、確実に実行していくことで、神様のもとまでたどり着くことができるんだなぁと改めて思いました。

神に感謝と賛美!

 

マリアテレジア  

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