64. メジュゴリエ証し4
マリアテレジアさんから、もうひとつ証しが届きましたのでご紹介します。
マリアテレジアさんは、「メジュゴリエで神秘体験をしたい」という気持ちがあったそうです。もしかすると、それを求めてメジュゴリエへ行く人もいるかも知れません。
確かに、メジュゴリエでは不思議な体験をした人が大勢います。その『不思議な体験』、あるいは『神秘体験』がイエスへ導くものなら、神からのものでしょう。
「わたしは特別だ」と思わせるものなら、他の霊によるものですから、きっぱり忘れるべきだと私は思います。そのような霊は私たちの足元をすくうために、虎視眈々と狙っています。今の時代は特に霊を見極めるお恵みを聖霊に願うことを忘れないでいたいと思います。
マリアテレジアさんは、もしかすると彼女が考えていた形とは違うかもしれませんが、確かに『神秘体験』をしたと私は思います。このような体験は信仰生活の宝となりますね。神に感謝!
SUZUME-SUZUME
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今回のメジュゴリエ巡礼で、もう一つ、強烈な体験をしました。それは『ご聖体礼拝』でした。
日本でも、何度もご聖体礼拝に与ってきましたが、今まで味わうことがなかった感覚をメジュゴリエでのご聖体礼拝で感じました。
「後ろの方に座ると何がなんだか分からないよ」と、以前メジュゴリエに来たことのある人からアドバイスを受け、私達はごミサが終わると急いで食事を済ませて、前方のご聖体がよく見える場所を確保しようと思いました。通常のベンチでなく、その前に広いスペースがあるので、そこに簡易イスを持参して前に座るつもりでした。
わりと早めに行ったのですが、すでに最前列は人でいっぱいでした。私たちはなんとか二列目と三列目に座ることができました。それでもかなり前です。
あたりが暗くなり、いよいよ音楽と共にご聖体礼拝が始まりました。
ご聖体は見たこともないほど大きく、私は釘付けになりました。
ご聖体は輝いていました。美しかった!
スマートフォンで撮影する気にもなれず、祈りの言葉もでない、何も考えられない。まるで思考が停止してしまったかのようで、私はただただご聖体を見つめていました。
そのご聖体からは、大きな力が放たれていました。『愛の力』だと思いました。
やがて礼拝の美しい一時間も終わりを迎えました。すると、最後にそのご聖体が祭壇から降りてきて、私達のすぐ前まできて、祝福をして下さったのです! 圧倒されました。完全にノックアウトです。
ご聖体とはこんなにも力あるものだったのか…。頭では知っていました。でも体験したのは初めてでした。その後、二回のご聖体礼拝に与りましたが、二回とも一番前で礼拝することが出来ました。
(確かに最前列にいます! この写真はごミサ中のものですが、マリアテレジアさんたちはここでご聖体礼拝にもあずかったのですね。なぜ私SUZUMEがこんなアングルで写真を撮れたかについては、後日の記事でお話しします。)
三回目のご聖体礼拝の時には、ご聖体の中からイエスの愛が私に向かってグングン迫って来られました。素晴らしかったです。
巡礼も終わりに近づいたある日、日中にフリーの時間がありました。「さて、どこへ行こうか」と考えた私は、午後には毎日チャペルでご聖体顕示をしていることを思い出しました。
行ってみると、チャペル内は人でいっぱいでしたが、なんとか座ることができました。前の人が席を立つたびにそこへ移り、しだいにご聖体に近づき、すぐおそばに座ることができました。
「フレンツ神父様も、シスターブリージも一日三時間、ご聖体の前にいるんだなぁ」などと考えていました。
しばらく座っていると、「私を外に探さないで欲しい」という声が心の中に響きました。
その言葉は先日の「ひとりひとりの十字架の道行き」の本の中の文章でした。私はその言葉を聞き、「あー、そうだ、私はいつもいつもイエス様を、外に探していた」ということに気づかされました。
「イエス様はいつもいつもあなたと共にいると言ってくださっていた。私は今まで、何をしていたのか」…そう思いました。
私には今、静まることこそが大切なんだということが分かりました。
イエス様、いつも共にいて下さって、本当にありがとうございます。
マリアテレジア
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マリアテレジアさんは、「ご聖体が祭壇から降りてきて、私達のすぐ前まできて、祝福をして下さいました」と書いています。この表現、素敵ですね! もちろん、司祭が顕示台を持って祝福してくださったのですが、彼女はこのとき、イエスしか見ていなかったのですね。イエスの代理者である司祭とご聖体がひとつになってマリアテレジアさんを祝福されたのでしょうか? イエスとマリアテレジアさんだけのひととき。ハレルヤ!