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番外編 1.「すべての民の御母」と私

■「番外編」では、ミオ関係以外のことをご紹介しようと思います。


第一回目 : 
「すべての民の御母」と私


動画:すべての民の御母 祈りの日 2017年9月3日 デュッセルドルフ

 

 

私、ドイツ在住のSUZUMEは、「すべての民の御母」の祈りの普及、聖母が「世界的活動」と言われるこの活動を、自分のできる範囲でですが、手伝っています。

 

私が「すべての民の御母」と出会ったのは、1997年、メジュゴリエででした。

この年に、初めてアムステルダムで「すべての民の御母・国際祈りの日」が三日間催されたのですが、もちろん、私はまだそのことを知りませんでした。

 

私はこの年の四旬節中に大きな回心を体験し、約7年間の霊的暗闇から抜けだしたばかりでした。

息をすることも辛くなっていた私は、その年の灰の水曜日、自分の部屋に走って行ってマリア様のご像の前に跪き、「もう、ダメです。助けてください!」と叫びました。すると、モンフォールの聖グリニョンが書かれた 『聖母マリアへのまことの信心』 を 読むようにという促しを受け、数年ぶりに霊的読書を始めました。

 

その本を通して、私は長い間できなかった、「痛悔」のお恵みを頂きました。ページをめくるたびに、私がどのようにイエス様を傷つけて来たかを知ったからです。

マリア様がどのようにして私の泥だらけの祈りを美しく飾ってイエス様に届けてくださるか、ということも、この 『聖母マリアへのまことの信心』 を通して教えていただきました。

私は、聖グリニョンのお勧めに従って、33日間の準備の後、聖母に自分を奉献することにしました。

この奉献の前に告解することが必要条件です。

私も犯した罪の長いリストを作り、総告解(洗礼を受ける前の罪もすべて痛悔を持って告解)をしました。

この聖母への奉献の日をその年の聖霊降臨の日5月18日ちょうど当時の教皇ヨハネ パウロ2世のお誕生日でした!) と決め、里帰りを兼ねて日本に飛び、洗礼に導いてくださった秋田の聖母のもとで奉献をしました。

 

もし、あなたがご自分を聖母に奉献されるなら、これからのあなたの人生は一変します。イエス様へ続く道の舵取りを、聖母に委ねるわけですから。

私の人生もその時から全く違ったものになりました。

この奉献をした後、私はドイツ人の巡礼団に入れていただいて(この巡礼に参加できたこともちょっとした奇跡。マリア様の助けなしでは無理でした)、メジュゴリエへ行きました。それまで、メジュゴリエのことは「ちょっと怪しいかも」と思い、傍に置いておいたのですが、奉献後、メジュゴリエに関する本を読み直すと、どうしても巡礼したくなったのです。

 

メジュゴリエで私はイエス様を体験しました。それ以来、毎年一度はメジュゴリエに巡礼しています。メジュゴリエでマリア様は私たちをもっとイエス様の近くまで連れて行ってくださる、と私は感じます。

もちろん、人によって、お恵みは様々な形でいただきますから、「こうだ」と断言はできませんが、私の場合、メジュゴリエとはいつも「個人的回心を体験させていただく場所」なのです。

 

この最初のメジュゴリエ巡礼の時、ある修道院の中で司祭の講話がありました。その時、その神父様はすべての民の御母について話されたのです。当時、私はドイツ語がほとんど理解できませんでしたので、神父様がどんなお話をされたのかはわかりませんでしたが、神父様が持っていらっしゃった冊子を見て、とても驚いたのです。

木彫りの秋田の聖母と同じマリア様のご絵、それも、色つきのマリア様のご絵が載っていたのですから!

「一体、誰が秋田の聖母に色をつけたのかしら?」

そんな思いで、巡礼から戻ると私はすぐにその冊子を注文し、辞書を引き引きその記事を読みました。

その色付秋田の聖母が、アムステルダムにご出現された「すべての民の御母」だったのです。

実は、アムステルダムの聖母を模して彫ったのが秋田の聖母像だった、ということを、私は冊子を通して知りました。


ぜひ、アムステルダムの聖母にお会いしたい、という気持ちが芽生えばした。

 翌年、1998年にアムステルダムで 『第二回すべての民の御母インターナショナル祈りの日』 が行われるという情報が入りました。私たちの地域からも巡礼バスが出る、というので私も申し込みました。

 

当時の祈りの日は、聖母が「私の日」とおっしゃった5月31日に行われていました。

1998年の5月31日は聖霊降臨の祝日と重なり、私は「すべての民の御母」のオリジナルのご絵の前で聖母への奉献の更新をすることができました。このことは、私にとって、「正しい道を歩んでいる」、という一つの徴となりました。

 

その時、「マリアの家族」の日本人シスターのシスターマリアに出会い、それ以来、私にできる協力をするようになりました。2001年、この会の創立者であるパウロ ジーグル神父様も来日して日本で 「すべての民の御母」の祈りの日が持たれこともあります。

(現在では『いつくしみセンター』さんが、日本における「すべての民の御母」関連の活動をされています。)

 

様々な理由で今ではインターナショナルの祈りの日はなく、各国で祈りの日が催されています。でも、ドイツで行われる祈りの日が一番規模が大きいと思います。マリア様が、「私はドイツから世界にもたらされたいのです」 とおっしゃっていることと関係があるかも知れません。

 

今年、2017年9月3日の初土曜日にデュッセルドルフで 「ドイツ祈りの日」 が催されました。

それが上の動画です。

ごミサと同時に祈りの日が終了し、司祭がたがお帰りになる場面を私の携帯で撮影したものです。少しピンボケですが、雰囲気は伝わるでしょうか?

歌は、ドイツで昔から歌われていて誰もが知っている歌、「マリアよ、祝福してください」です。

 

どういうわけか分かりませんが、今年の祈りの日は、私には特別に思えました。パウロ ジーグル神父様の講話やレバノンの枢機卿のお手紙、「マリアの家族」のシスター方がまとめたレバノンのヴィデオなどなどは、聖母からの最後の切実な「願い」に聞こえました。

「子供たちよ、国々よ、あなた方を私の心に捧げてください。そうすれば、私があなた方を保護することができます!」

 

特にレバノンの枢機卿の証は、私の心に強烈に焼きつきました。

ある女性がレバノンの枢機卿に 「すべての民の御母」 の祈りのカードを差し上げたのですが、枢機卿は大変興味を示され、この祈りを祈るようになりました。今回も祈りの日に参加される予定でしたが、事情で来ることができませんでしたので、

「世界の平和のために、特に近東の平和のために、私は喜びをもって心から皆さんと一致して祈ります」

というお手紙を枢機卿に祈りのカードを渡した女性に託されました。

 

ファティマの聖母は、汚れなき御心に奉献するなら、第二次世界大戦は起こらない、と第一次世界大戦中におっしゃたことはご存知の通りです。

でも、ポルトガルの司教団だけがこのマリア様の言葉を真摯に受け止め、1931年5月13日にポルトガルを聖母の汚れなき御心に奉献したという話は、あまり知られていないのではないでしょうか? 

その結果、ポルトガルだけが西ヨーロッパの中で第二次世界大戦の戦火から免れたのです。

 

レバノンが2013年6月16日にそれを実行したことを、私たちは今回の祈りの日に流されたヴィデオで知りました。

今、レバノンは安全な状態とは言えませんが、ライ枢機卿は、マリア様が約束を守ってくださると固く信じ、祈り続けています。

マリア様のとりなしを、イエス様は断ることはお出来にならないからです。

日本はどうでしょう?

日本はカトリックの国ではないから、奉献など必要ないのでしょうか?

いいえ、だからこそ奉献する必要がある!と私は思いますが、違うでしょうか?

おん父はカトリック信者だけをお創りになったのではありません。

マリア様は、カトリック信者だけのお母さんではありません。

秋田の地に来てくださった「すべての民の御母」が私たちの執り成し手でありますように!!!

 

日本が、司教様方の手によって聖母の御心に奉献されることを、私は夢見ます。

今でも十分遅すぎますが、これ以上遅くならないうちにこのことが実現しますように、と。

同じ思いをお持ちの方は、どうぞご一緒にお祈りください。

 

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こちらは「すべての民の御母」について短くまとめたものです。「マリアの家族」のHPより



こちらは、「マリアの家族」のシスター方の歌(英語)です。